Cervical spine injury

C3,C4頚椎損傷で全身麻痺になったけど、なんとかMTBでトレイルライドのある生活に戻ろうとしているブログ

決断のエネルギー

Facebook CEOのマーク・ザッカーバーグ、「なぜ毎日同じTシャツを着ているのか」に答える

 

スティーブジョブズやマークザッカーバーグ、はてはアインシュタインまで、いつも同じ服を着るのには理由がある、ということが話題になったのは数年前だろうか。

 

ようするに、人間の1日使える決断の総量は限られているので、朝食何を食べるのかとか朝どの服を着るのかとか、そういった重要でないことに「決断の浪費」をすべきでない、という考え方のようだ。

 

僕たち頚椎損傷者というのは、普通に歩いているように見えても、どういうふうに足を出してどこに足を置くか?とかいちいち考えないといけないし、ドアを開けるにしても、注意してドアノブを持って力を調整しながら開けなければならい。

 

となると、ザッカーバーグとは正反対に、生活のあらゆる場面で健常者より「決断の浪費」をしていることになるのではないだろうか?

 

首から上は怪我前と同じだから、なんてこれまで言ってはいるが、なかなかそうもいかないのはこんな理由があるのかもしれないですね。

 

この記事を読んで心に痛みを感じない病人はいないと思う。

医者の言うことを何年も無視し続けて自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!! : 長谷川豊 公式ブログ 『本気論 本音論』

 

この記事でこのフリーアナウンサーの方はすべてのレギュラーを失ったらしい。

 

内容をきちんと読んでみて、誰しも全否定できるのだろうか?正しい指摘もあるし、一つの考え方としては間違っていないと思う。

アナウンサーなのにこの言葉選びはひどいだろ、とは思うが、まぁこれくらい調子に乗っちゃう人も面白いよね、くらいにしか思えないんだが。。

 

これをもってして仕事をすべて失ってしまうなんて、、もう日本には当たり障りのない毒のない人だけしか、メディアには出れない世の中になってしまったのですね。

 

そして、僕を含む日本の医療制度に助けられて生きながらえて、今でもそれの恩恵にあずかっている人達。。

ほんとにこの意見に全否定できる?ほんとは心の底で耳が痛くなってないの?

 

病気に甘えてる自分を顧みるいい機会だと、僕は思う。

 

 

 

谷垣さん

自民党・谷垣禎一前幹事長、事故後初のメッセージ「外科的措置は完全に終了」「早く復帰できるよう努力する」 - 産経ニュース

 

事故後二か月弱でコメント出せるまで回復されてるようなら一安心ですよね。

 

どこまで身体の機能が回復するから、ほんと運次第なんだけれど、政治の世界だったら戻れそうで良かった。

自転車に乗れるかどうかは、もう、本当に、運でしかないのがこの怪我の残酷なところ。。

出来ないことと出来づらいこと

頸損になっても不完全麻痺だと、出来ないことっていうのはあまりなかったりする。

この辺りが難しいところで、普通の人から見たら、全く普通じゃないかと見られていたりする。

こいつ不器用やな、とか、やること遅いなー、くらいなんじゃないだろうか?

 

しかし不完全麻痺の本人は、何をするにもすごく注意を払ってやらないとできないし、前よりうまくできないのでいちいち落胆しながらやっていたりして、自分が障害を持っているということを、痛感しながら毎日を過ごしている。

 

最近僕が不自由だなーと感じるのは、

  • スーツのジャケットの脱ぎ着するとき肩の可動範囲が限界
  • ズボンを脱ぐとき足首をまっすぐに出来ないのでひっかかって裏がえる
  • ペットボトルを開けるのには全開パワー
  • ポテトチップスの袋を開ける時はしばしば口に頼る
  • 皮靴に踵を入れるのに指が折れそう
  • 携帯電話を耳に当て続けること自体が腕の筋トレ
  • 雨の日の駅の階段はスリル満点

などだろうか?

 

久々にスーツのズボンを脱ぐときに滑ってこけてしまったので、備忘録として書いてみた。

頭の中の想像では前と同じように動けるんじゃないか?っていつも思ってるんだけど、現実はそんなに甘くないんだよなー。

 

 

 

 

「感動ポルノ」という世界

「24時間テレビ」を批判か? NHKの「バリバラ」に大反響 (2016年8月28日掲載) - ライブドアニュース

 

24時間テレビの裏で、NHKのバリバラで「感動ポルノ」に対する批判を取り上げていたらしい。

 

概ね世間の反応は、

NHKよくやってくれた」とか

「障害者を特別扱いするのはおかしい」

などかなと思う。

 

でもね、障害も一つの個性とか言うんだったら、その個性で誰かがすごいねって思ったり、俺も頑張らなきゃなって思ってくれたりするんだったら、その役演じなきゃいけないと思うんだよな。

 

何かして、それで誰かが感動してくれる個性なんて滅多にないんだから、ぐっと目をつむって、相手の求めることをやってあげるべき。

 

だってね、普通の人たちが普通に出来ることが、いちいち頑張らなきゃいけなかったり冒険だったりするわけなんだから。

普通の人たちより刺激のある人生を送ってるんだ!って自慢するくらいでいいんじゃないかと思うだけど。

オブラートに包まれたような

まったりとした雨の日曜日の午後、閉まりかけのジムで筋トレ。

 

肩周りと背中を中心に。

MTB乗っているといまの自分に足りないことがよく分かる。

何しろMTBのフロントを上げられる筋力と瞬発力を付けないと、地形に合わせたちょっとしたロールやホッピングが出来ないので、楽しさが全く変わってくる。

 

相変わらず右半身は「オブラートに包まれたような」一皮挟んだような感覚でしか動かない。

筋力付けて解消するのかどうかもわからないけれど、人体実験は今日も続く。