汗が出ることは大事
さすがに怪我をして以来、暗いうちにロードバイクに乗ることはできない。
ロードバイクなんて、いろいろ不確定要素の塊だからだ。なんだか「ディスクロードにすれば事故が減る」なんて言っている人がいるが、そんな訳はない。
なので、最近はもっぱらZWIFTに乗っている。ローラーなんて30分やるのが精神的に精一杯だったけど、ZWIFTなら苦もなく出来てしまう。人間の心の動きをよく表してるなと思うね。同じことやるんだったら、楽しくやれば良いということだ。
そんなZWIFTの良さは他のプログにいっぱいあるので今回は語らず、いい機会だったので自分の身体の、どの部分が汗をかけていないのか?を確認してみた。
頚椎損傷者はひどい人になると首から下は一切汗をかかないって人までいる。
自律神経も当然のようにやられてしまうので、汗はかかないし温度もわからないし、切り傷しても気づかない時さえある。普通に見えてるけどいろいろ裏で苦労しているのだ。
僕の場合、損傷以来身体で温度がわかるところがまだらになってしまっていた。
一応「スポーツする人」の端くれに復帰しようとした時に、汗をかけるかどうかってのは本当に重要で、もし背中とかに汗をかけなければ、自分で体温調整できないことを意味するわけで、ある程度激しいスポーツは諦めなければならないことになる。
病院でリハビリ中に、PTの先生とかに「背中に汗かいてますか?」ってよく聞いたもんだった。
今回わざと扇風機使わずにローラーやってみた。
ZWIFTで登坂が10%とかになってくるとすぐに汗が噴き出してくる。
よく自分の体を観察してみる。
首や頭、汗は滴り落ちるほどだ。
肩や腕、大粒の汗が噴き出している。
しかし胸くらいを境に汗の量が極端に減る。背中やお腹周りはジワっとなれる程度。
驚いたのは腰から下。
まったくカラッカラッのままだった!脚なんて汗の一滴もなく、サラサラのまま。
怪我する前は太ももや向こう脛とかに汗が流れて、靴下が濡れて湿ってきて気持ちの悪い思いとかもしていたはずなんだけど、もうまったくその気配すらない。
たまに向こう脛が乾燥してひび割れたりするかに悩まされてたけど、これが原因だったんだな、と。そりゃ乾燥する。
身体の半分で汗による体温調整が出来ない、というのが現状のよう。
今の所あんまり問題となっていないが、今後どうなるのだろう?
念じてればいつか汗が出てきてくれるのかな、と。
汗を出るかどうかを悩むなんて、頚椎損傷患者ならではだと思う。
「考え方の選択」という考え方
考え方だけで「地獄」から「天国」に❗️誰でも同じ : 片道切符社長のその後の目的地は?ALSと共に生きる恩田聖敬のブログ
1、以前のように出来なくなった
2、時間をかければ以前のようにできる考え方だけで、「できない」を「できる」に変えることができます。
これは障害者に限ったことではありません。如何なる人の日常にも存在する「考え方の選択」だと思います。
ここまではありきたりな考え方。
三流の自己啓発本にもよく書いてある。
しかし、
365日「2」のように考えられる人なんていません。もちろん私もそうです。でも、講演という仕事をいただいて、話を聞いてくださる方がいる有難さを噛み締めながら「1」の気持ちを打ち消しているだけです。
これを言えるのは本物の当事者だけ。
だからこの人の言葉には重みがちゃんとある。自分に言い聞かせたい、という思いもあるんだろう。
強い人間なんていない。強くあろうと歯を食いしばってる人間しかいない。
決断のエネルギー
Facebook CEOのマーク・ザッカーバーグ、「なぜ毎日同じTシャツを着ているのか」に答える
スティーブジョブズやマークザッカーバーグ、はてはアインシュタインまで、いつも同じ服を着るのには理由がある、ということが話題になったのは数年前だろうか。
ようするに、人間の1日使える決断の総量は限られているので、朝食何を食べるのかとか朝どの服を着るのかとか、そういった重要でないことに「決断の浪費」をすべきでない、という考え方のようだ。
僕たち頚椎損傷者というのは、普通に歩いているように見えても、どういうふうに足を出してどこに足を置くか?とかいちいち考えないといけないし、ドアを開けるにしても、注意してドアノブを持って力を調整しながら開けなければならい。
となると、ザッカーバーグとは正反対に、生活のあらゆる場面で健常者より「決断の浪費」をしていることになるのではないだろうか?
首から上は怪我前と同じだから、なんてこれまで言ってはいるが、なかなかそうもいかないのはこんな理由があるのかもしれないですね。
この記事を読んで心に痛みを感じない病人はいないと思う。
医者の言うことを何年も無視し続けて自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!! : 長谷川豊 公式ブログ 『本気論 本音論』
この記事でこのフリーアナウンサーの方はすべてのレギュラーを失ったらしい。
内容をきちんと読んでみて、誰しも全否定できるのだろうか?正しい指摘もあるし、一つの考え方としては間違っていないと思う。
アナウンサーなのにこの言葉選びはひどいだろ、とは思うが、まぁこれくらい調子に乗っちゃう人も面白いよね、くらいにしか思えないんだが。。
これをもってして仕事をすべて失ってしまうなんて、、もう日本には当たり障りのない毒のない人だけしか、メディアには出れない世の中になってしまったのですね。
そして、僕を含む日本の医療制度に助けられて生きながらえて、今でもそれの恩恵にあずかっている人達。。
ほんとにこの意見に全否定できる?ほんとは心の底で耳が痛くなってないの?
病気に甘えてる自分を顧みるいい機会だと、僕は思う。
金メダルを取って安楽死
「パラリンピックが終わったら安楽死を考えている」金メダリスト、病と闘う苦しみを明かす
この気持ちはほんとうによく分かる。
普段は普通にしていても、見えないところではまったく普通ではない。
わかってもらうのは無理なんだけどね。
谷垣さん
自民党・谷垣禎一前幹事長、事故後初のメッセージ「外科的措置は完全に終了」「早く復帰できるよう努力する」 - 産経ニュース
事故後二か月弱でコメント出せるまで回復されてるようなら一安心ですよね。
どこまで身体の機能が回復するから、ほんと運次第なんだけれど、政治の世界だったら戻れそうで良かった。
自転車に乗れるかどうかは、もう、本当に、運でしかないのがこの怪我の残酷なところ。。
出来ないことと出来づらいこと
頸損になっても不完全麻痺だと、出来ないことっていうのはあまりなかったりする。
この辺りが難しいところで、普通の人から見たら、全く普通じゃないかと見られていたりする。
こいつ不器用やな、とか、やること遅いなー、くらいなんじゃないだろうか?
しかし不完全麻痺の本人は、何をするにもすごく注意を払ってやらないとできないし、前よりうまくできないのでいちいち落胆しながらやっていたりして、自分が障害を持っているということを、痛感しながら毎日を過ごしている。
最近僕が不自由だなーと感じるのは、
- スーツのジャケットの脱ぎ着するとき肩の可動範囲が限界
- ズボンを脱ぐとき足首をまっすぐに出来ないのでひっかかって裏がえる
- ペットボトルを開けるのには全開パワー
- ポテトチップスの袋を開ける時はしばしば口に頼る
- 皮靴に踵を入れるのに指が折れそう
- 携帯電話を耳に当て続けること自体が腕の筋トレ
- 雨の日の駅の階段はスリル満点
などだろうか?
久々にスーツのズボンを脱ぐときに滑ってこけてしまったので、備忘録として書いてみた。
頭の中の想像では前と同じように動けるんじゃないか?っていつも思ってるんだけど、現実はそんなに甘くないんだよなー。