Cervical spine injury

C3,C4頚椎損傷で全身麻痺になったけど、なんとかMTBでトレイルライドのある生活に戻ろうとしているブログ

人生で最悪の夜

怪我した当日、これで人生変えることが出来る、と希望を持った。
これまでの八方塞の毎日からやっと脱出できる、と期待した。

身体がまったく動かないことがわかっても、数年耐えれば新しい治療法が見つかるだろうと思っていた。

数日経つと、オレだけは違う、奇跡が起きて急に動き出すはずだ、と考えていた。

手術も終わり数日経った頃、身体が動かないのはまだ耐えられる、しかし手先の強烈なしびれと何度も襲ってくる呼吸困難にはもうこれ以上耐えられない、と感じた。

本気で主治医の先生に、「尊厳死は出来ないのか?」と聞いていた。こんな状態で何日も生きていられないと本気で思った。

もちろん先生の答えは、「そんなことはできない。」と。至極冷静に感情を出さずに答えられた。

そうなればもう自分で死ぬしかない、と決断した。
なんども襲ってくる強烈な呼吸困難。どれだけ息を吸っても息苦しさが収まらない。
これを使えば、そのまま息をするのを止めてしまえば、そのまま死んでいけるのではないかと本気で考えた。
今思えばなんと浅はかな、と思うが、当時はそれほど息をすることだけでも必死で、1分息を続けるのも大変な毎日だった。

ある夜、処方されている睡眠薬と安定剤を飲み、消灯時間が来て、11時過ぎくらいにいつもどおり強烈な息苦しさがやってきた。

横を向かされて寝させられ、息苦しさと唾を飲み込むことも出来ない状態が続く。
一呼吸一呼吸が大変だが、ゆっくり呼吸を少なくしていく。
どうせほっておいてもこの息苦しさで死にそうなんだから、ちょっと息をするのを止めればすぐ死ねるんじゃないかと考えていた。

息を止めて数十秒経つと、手や足にすーっと力が抜ける感覚が走る。もう数十秒経つと、手術をした首の後ろがじんじんと熱くなってくる。
これは命が無くなる前兆だ、と確信していた。

でも死なない。なかなか死ねない。死んでいかない。

そんな時に看護師さんが見回りに来て水を飲ませていった。
こんなに苦しんでいるはずなのに、まったく普通の対応で去っていく。
こんなに苦しんでいるのに!

もう一度試みる。

強烈な息苦しさ。首の後ろが熱くなってくる。
このまま死んでいくのか、と考えた。
もしほんとにこのまま死んだらどんな扱いになるんだろう?
医療ミスとして扱われるのか?
なぜかそれが許せなくなってきた。
こんな辛い状態でほったらかしにされているのに、それを誰にも伝えることが出来ずに、急に死んだことになってしまうのか?
そんなことは許せない、そんな怒りの感情がなぜか生きる目的になった。
このまま死んでいくのは許せない、その感情だけだった。

なぜかすっとこんなこと止めよう、と思った。
人間、自分の意思力で死ぬのはむずかしい。不可能だと思う。
でも、そんな夜は2回あった。あれが今後の人生でも最悪の夜だったことになってほしい。