ナースコールを一晩に300回
まだ全く身体が動かなかった頃、もちろんナースコールのボタンを押せないので、息を吹きかけたり声に反応してくれるマルチナースコールという機械をあてがわれていた。
これがなかなかくせもので、大部屋だったので声を出すわけにもいかないので、息を吹きかけて反応するモードにしてもらっていたのだが、なかなかに上手く反応しない。
その頃、痰を自分で切る肺活量もなく唾も飲み込めない状況だったので、息も絶え絶えになってナースコールをしようとするんだが、どれだけ頑張って息を吹きかけても、反応しない時は全く反応してくれない。10分くらい格闘してやっとポーンっとランプがついて、看護婦さんの声が聞こえた時はどんなに安堵感があったことか。。
2時間に一度、ジュクソウを防ぐために看護婦さんが二人がかりで身体の体勢を変えてくれるんだけど、その度にちょうどうまい具合に息を吹きかけられるようにセンサーのアームを微妙に調整してもらう。その時はちゃんと反応するんだけど、いざ本当に看護婦さんを呼ぼうとするとなぜか反応しないことがほとんどで、どれだけイライラさせられたことか。。
そしていつしか、このナースコールで看護婦さんを呼ぶことが麻薬のように常に頭から離れず、何度も何度もダメだとわかっているのに繰り返してしまうことになる。
そして行き着いた先が、婦長さんに言われた、昨日一晩でナースコールの回数300回を超えていたよ、という宣告。
冷静になって当時の心の動きを考えてみると、その「ナースコールをすると看護婦さんがやってくる。」ということが、「自分で何かしたら結果が返ってくる」唯一のことだったからだと思う。
当時全く身体が動かなかったので、大きく言えば世の中に働きかけることが全く無く、全てが受け身でしかなかった。
「立ち上がってスイッチに手を伸ばしてオンにしたら電気がつく」とか「リモコンを操作するとテレビのチャンネルが変わる」とか何かをすれば何かが変わる、ということが自分の周りから一切なくなってしまい、唯一のそれがナースコールを使うことだった。
この誘惑争うのは本当に難しく、ダメだと分かっていても耐えきれず用もないのにナースコールを押してしまうことの繰り返し。もう5分たったからいいだろうとか、精神安定剤でもうろうとした意識の中で知らないうちに呼んでたりとか、そんなことの繰り返しだった。
もう看護婦さんたちにとっては迷惑極まりない患者さんだったに違いないと思う。日々人生は自分の心との戦いなわけだけれど、自分の心の弱さを常に感じ続ける毎日だった。