VRを使ってのトレーニングで神経系が回復?
VRによる脳トレーニングで下半身不随の患者が再び「感覚」を取り戻し回復への一歩を踏み出す - GIGAZINE
これが可能なのであれば、不完全麻痺で少しでも動けていれば、動かし続けている限り少しずつ神経が戻っていくということなのか??朗報?
ナースコールを一晩に300回
まだ全く身体が動かなかった頃、もちろんナースコールのボタンを押せないので、息を吹きかけたり声に反応してくれるマルチナースコールという機械をあてがわれていた。
これがなかなかくせもので、大部屋だったので声を出すわけにもいかないので、息を吹きかけて反応するモードにしてもらっていたのだが、なかなかに上手く反応しない。
その頃、痰を自分で切る肺活量もなく唾も飲み込めない状況だったので、息も絶え絶えになってナースコールをしようとするんだが、どれだけ頑張って息を吹きかけても、反応しない時は全く反応してくれない。10分くらい格闘してやっとポーンっとランプがついて、看護婦さんの声が聞こえた時はどんなに安堵感があったことか。。
2時間に一度、ジュクソウを防ぐために看護婦さんが二人がかりで身体の体勢を変えてくれるんだけど、その度にちょうどうまい具合に息を吹きかけられるようにセンサーのアームを微妙に調整してもらう。その時はちゃんと反応するんだけど、いざ本当に看護婦さんを呼ぼうとするとなぜか反応しないことがほとんどで、どれだけイライラさせられたことか。。
そしていつしか、このナースコールで看護婦さんを呼ぶことが麻薬のように常に頭から離れず、何度も何度もダメだとわかっているのに繰り返してしまうことになる。
そして行き着いた先が、婦長さんに言われた、昨日一晩でナースコールの回数300回を超えていたよ、という宣告。
冷静になって当時の心の動きを考えてみると、その「ナースコールをすると看護婦さんがやってくる。」ということが、「自分で何かしたら結果が返ってくる」唯一のことだったからだと思う。
当時全く身体が動かなかったので、大きく言えば世の中に働きかけることが全く無く、全てが受け身でしかなかった。
「立ち上がってスイッチに手を伸ばしてオンにしたら電気がつく」とか「リモコンを操作するとテレビのチャンネルが変わる」とか何かをすれば何かが変わる、ということが自分の周りから一切なくなってしまい、唯一のそれがナースコールを使うことだった。
この誘惑争うのは本当に難しく、ダメだと分かっていても耐えきれず用もないのにナースコールを押してしまうことの繰り返し。もう5分たったからいいだろうとか、精神安定剤でもうろうとした意識の中で知らないうちに呼んでたりとか、そんなことの繰り返しだった。
もう看護婦さんたちにとっては迷惑極まりない患者さんだったに違いないと思う。日々人生は自分の心との戦いなわけだけれど、自分の心の弱さを常に感じ続ける毎日だった。
自動運転車の事故の責任は運転者に在るべきか?
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASDG06H8B_W6A700C1CC1000/
政府の見解、テスラの事故から、
「自動運転の車が事故してもメーカーの責任は問わない。事故りそうになったら運転者が避けなさい」
らしい。
これは納得できない時が多そうだな。
自動運転の方がセンサーの感知間違いで変な挙動したんだから、事故のきっかけを作ったのは車側のわけだし。
提訴社会のアメリカの弁護士がほっておく案件じゃないだろう。
自転車のアシスト機能みたいに、あくまでアシストするだけで、完全自動運転はメーカー側の提訴リスクが大きすぎる気がしますね。
障害者スペース
こちらアメリカに来ていつも思うことだけど、障害者の駐車スペースのルールがちゃんと守られている。
どんなに混んでいても、健康なのにそこに駐車する様なカッコ悪いことはしない、ということが当たり前になっているよう。
それにひきかえ、今回出発地の関西空港の駐車場。
駐車禁止除外証をフロントガラスに置いておくルールになっているんだけど、ほぼ9割方の車がルール守ってなくて、警告の張り紙をされていた。
もちろん脚を骨折してる人とか、おじいさんおばあさんがいるからとか、除外証持ってないけど駐めるべき人もいるだろうけど、その場合は管理事務所に連絡するルールもあって、そっちも守っていないわけだから、ほとんどが「ばれないから」とか「めんどうだから」とかで勝手に駐車してる人が大半のように思える。
高速のパーキングなんかでも、雨の日に障害者スペースには屋根があるのでバイクに占領されてたり、すごい勢いでデカイバンが滑り込んできたり、という光景をよく見る。
「おもてなしの国」なんて売りにしようとしているけど、「見られている時は親切」で「ばれなければ自分が得したい」、というムラ社会根性が自分たちに根付いている事も、ちゃんと理解してないといけないじゃないかな?と思う出来事だった。