人生が変わる日
誰しも人生が変わる日というのがあると思う。
大体の場合、その出来事に直面したときは気づかない。後から振り返ってあれが分岐点だったな、と思い返すことがほとんどじゃないかと思う。
しかし、脊髄損傷した人間には明確にわかる。あの日のあの時が人生変わった瞬間だった。
僕にとっては2014年の3月6日。
MTBから地面に投げ出されて、夜空を見上げたあの瞬間だ。
MTBに乗っていて、段差から斜めに落ちてしまって、「あ、フロントサスペンションが吸収してくれるかな?」と思ってハンドル離さずそのまま落ちた結果、ヘルメットを被った頭をコンクリートの地面にゴンと打ち付けてしまった。
あ、こけたな、と思って我に返ると、まさに「首から下が無い」。
首から下が全く無くなった。動かすも何も感覚すらない。人間というものは自分の腕なり足なりをいろいろな感覚にで認識している。それは、指が動かそうとして動いた感覚、空気と指が擦れ合う感覚、もちろん地面と背中が触れてる感覚とか、いろいろあると思うが、それがすべて無くなってしまった。何度も言うが、まさに「首から下が一瞬にして無くなる」のだ。
最初は非常に冷静だった。「あーついに自分の順番が回ってきたか。これが全身マヒってやつか」と思ったのを今でも覚えている。
一緒にいた仲間がすぐに駆け寄ってきて
「だいじょうぶですか?」と話しかけてくる。もちろん大丈夫じゃない。
「首から下が無くなったみたい」と冷静に答えた。
すぐにリーダー格だったA君を呼びに行ってくれる。
A君は駆け寄ってくれていろいろ身体を触ってくれるがどこも感覚がない。
手を握ってくれるとほんとにかすかに手を握られている感覚がある。
それが本当にうれしくて、
「ああ、手を握ってる感覚がある。ごめんずっと握っていて」と頼んだ。
首が唯一動いたので、動くことを確かめたくて首を動かしてしまう。すぐにA君は、
「動かしたらだめです。余計悪化します」とぴしゃりと言ってくれて我に返った。
もしあの時、あのまま首を動かし続けていたらマヒの度合いはもっと深刻になっていたかもしれない。これは感謝しても感謝しきれない。
すぐに救急車に乗せられて、どこかの病院に運ばれていく。
その時に悲壮感は全くなかった。
ああ、これであの苦しくて全く自分に向いてない仕事ともオサラバできる。こんなことで開放されるなんて、思ってもみなかった、なんて考えていた。
それが、身体が動き出し仕事に戻ってみると前の仕事とポジションに固執している自分に気づく。ほんとうに人間の感情とはわからない。
人生が全く変わった瞬間の思い出。
2年半かけてやっと文章にすることができた。
今もあの時あれをしなければ全然違う人生だったのに、と思うことはしばしばある。
しかし、人生のどんな分岐に入って行ってしまっていようと、おそらく違う悩みで同じように苦しんで、違う楽しみで笑っていたことだろうと思う。